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日本の ART が目指すべき方向性

福田愛作

2020年度 年次大会-講演抄録 | 今後の日本の ART 医療の方向性

学会講師 : 福田愛作

Abstract

昭和53年(1978年)に体外受精はRobert Edwards博士(生物学者)とPatrick Steptoe 博士(医師)の二人の力で誕生したというのが定説である.しかし,その他にもJean Purdy 女史やBarry Bavister 博士の存在が無ければ起こりえなかった.顕微鏡下に世界で初めて2 前核期受精卵(2PN)を観察したのはPurdyである.Purdyが実体顕微鏡下に2PNを見て驚き「Edwards 博士!受精してますよ,見てください!」とEdwardsに声を掛けEdwardsが2PNを確認した.Edwards は1968年にヒトの胚盤胞培養に成功しているが,Bavister の協力を得て初めて成功している.1990年にイギリスで行われた世界で最初のPGD成功例は,伴性劣性遺伝性疾患(男児の発症率50%)の児をもつ可能性のあるカップルに対して,発症率の低い女児の受精胚を選別する方法であった.この方法を提案したのが当時培養士であったAlan Handyside 博士である.即ち,体外受精には多くの人々の協力が必要であるとともに胚培養士の力が不可欠である.体外受精の生みの親 Edwards は「胚は病気や異常の発見や治療にとって,医療・医学の対象そのものである」と述べている.現在この言葉通りのことが生殖医療の中で起こりつつある.

日本では1983年に初めての体外受精成功例が報告され,奇しくも平成元年(1989年)から日本産婦人科学会のART統計グラフが公表されるようになり,同じく令和元年(2019年)から条件付きではあるがPGT-A(従来PGSと呼ばれていた着床前スクリーニング)が可能となった.昭和から平成を経て令和時代に突入し,日本でも世界標準の生殖医療が可能となったと言える.

日本で開始されたばかりのPGT-Aについて,世界では既に多くの知見が集積されている.IVF開始当初はIVFが夢の治療であり,すべての不妊症はこれで解決されると期待された.ところが,男性因子に対しては無力であった.ICSIの登場で男性因子の部分は補完された.しかし,高齢不妊患者の増加も相まって,やはり妊娠に至らない症例が依然として多数出現している.そこに救世主として現れたのがPGS(PGT-A)であった.PGT-Aの知見が海外で蓄積されることにより,PGT-Aがオールマイティーでないこと,それと同時に現在のARTの弱点が浮き彫りにされた.

この事実を踏まえ日本のARTの目指すべき方向性を私の経験をもとに考えてみた.卵巣刺激には標準的なプロトコールは存在するが,ゴナドトロピンの日々の投与量調節やアンタゴニスト開始のタイミング,採卵決定のタイミングなどすべて担当医の腕にかかっている.採卵や胚移植の技術は医師により大きく異なる.培養室においても,卵子の皮むきの技術,媒精,ICSIによる受精率,胚の発育率.タイムラプスで自動化が普及しても培養士の感性によりその成績は大きく異なる.即ち,人的要因がARTではその成績を大きく左右することになる.

第三者を介する医療については日本では禁止されているが,解禁されたとしても日本人の国民性から海外ほどの増加はないと考えられる.この事実が困難症例に対する克服方法を探求する要因ともなっている.

私は,ART(生殖補助医療)はART(芸術)だと考えている.医師,培養士一人一人が感性を磨き,日々神経を研ぎ澄ませて,生殖医療に勤しむことが,日本のARTの目指すべき方向性だと考えている.AIを用い様々な機器が開発されても,結局はヒトの手で行われる部分が,ART臨床成績のボトルネックとなっている.生殖においても最高の職人技を可能とするのが,日本人の生まれ持った特性ではないかと考えている.

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