論文詳細ページ

歴史を変えた産婦人科疾患 ー不妊不育を中心にー

早川 智

2021年度 年次大会-講演抄録 | Evening Seminar「子孫を遺す難しさを考える」

学会講師 : 早川 智

Abstract

古文献や伝記から,歴史上の人物の病歴を追うことができる.産婦人科疾患は,王朝の存続を通じて歴史を動かしてきた.その典型を英国王室に見ることができる.16 世紀, チューダー朝の二代目のヘンリー8 世は嫡出男子を得るために王妃を次々に離婚あるいは断頭台に送ったことで悪名が高い.しかし待望の男子エド
ワード6 世は先天梅毒のため夭折,長女メアリ1世は腹水(おそらく卵巣癌),次女エリザベス1世はアンドロゲンレセプター不応症のため,いずれも子孫が残せなかった.ヘンリー8 世の妹が嫁いだ隣国スコットランドのスチュアート家に王位が継承され,現在に残る連合王国が誕生する.しかし,17世紀に名誉革命で王位に就いたメアリ2 世は不妊症,妹のアン女王は抗リン脂質抗体症候群と考えられる不育症(17g1p)のため王朝が途絶えてしまう.遠縁のハノーバー公家からヘンデルのパトロンとして名高いジョージ1世を迎えることになる.曾孫のジョージ3 世は若いころは名君だったが中年以降,ポルフィリン症のため,判断力が低下しアメリカ独立を招いてしまう.その後を継いだジョージ4世はただの遊
び人だったが,長女で推定王位相続者のオーガスタ王女はその優れた資質を期待されていた.しかし,待望の長男出産のときに母児共におそらくは羊水塞栓で急逝する.そして,傍系のビクトリアに王位が回ってきた.この時期の英国は大発展期にありヨーロッパ各国の王家と婚姻関係を結んだ.しかし,女王には血友病遺伝子があり,その血を受け継いだスペイン・ブルボン王家の王子たちの交通事故死,ロシア・ロマノフ王家の跡取りアレクセイ皇太子の反復する出血と怪僧ラスプーチンの暗躍,ロシア革命と共産主義による20 世紀の悲劇へとつながる.ビクトリアの孫の一人であったドイツ帝国のウイルヘルム2 世は血友病こそなかったが,英国人産科医が骨盤位から無理な娩出を行ったためにエルブの麻痺を来して英国憎悪に燃え,これが第一次世界大戦の遠因となっている.
我が国において,古くは,イザナミノミコトが末子カグツチ(火の神)を産んだ後に産道の火傷から死に至ったという神話は産褥熱の最古の症例報告であろう.平安時代,絶世の美女であった鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子は,天皇の祖父で,本人には義理の父であった白河法王の寵を得て,崇徳天皇を出産,異父弟であった後白河天皇との間で保元の乱が勃発して武家の世となる.待賢門院の28日毎の里帰りは排卵周期を理解したうえでの計画妊娠としか思えず,崇徳を「叔父子(自分にとっては叔父にあたるが名目上は長子)」と呼んで皇位継承を渋った鳥羽天皇の無念も理解できる.さらに時代は下って安土桃山時代,やはり男性不妊で後継者がなかなかできなかった豊臣秀吉に生殖医療を行えば
大坂幕府ができたかもしれない.少なくとも,淀の方の更年期障害に適切な医療介入をすれば豊臣家は北関東あたりで数万石の小大名として存続できた公算は大きい.もちろん,王侯貴族の疾患だけで歴史が変わったと強弁することはできないが,その行動や特に王位継承には産婦人科疾患が大きくかかわっているのでる.

ページ先頭